ふと何気なく目にした昔の文字に、
素樸な疑問を抱いたことはないだろうか。例えば、「ルメラヤキクルミ」を読んでみよう。これ、そのまま読むと「ルメラ焼きクルミ」のようだが、右から左へ読んで「ミルク
キャラメル」が正解だ。他にも例をあげると、下記の通り。
不經(jīng)意間看到過去的文字,你是不是純粹覺得奇怪?例如,試著讀讀“ルメラヤキクルミ”,按從左至右的習(xí)慣會讀成“ルメラ焼きクルミ”,而事實上是從右往左讀“ミルクキャラメル”(牛奶糖)。其他的例子如下:
例)
具房文 (文房具)
鹸石クルシ?。?a class="hjdict" word="シルク" target="_blank">シルク
石鹸)
ルービ?。ē萤`ル)
例:
具房文 (文房具) 【文具】
鹸石クルシ?。ē伐毳x)【生絲肥皂】
ルービ?。ē萤`ル)【啤酒】
読みにくい。非常に読みにくいし、書きにくそうだ(実際、書きにくい)。しかし、橫文字を右から左へ書いていた時代が、確かに日本にはあった。第二次世界大戦
直後まで、そのような表記がいたるところで見かけられたのだ。一體どうして橫文字は右から左だったのか?そして、なぜ現(xiàn)在のような左から右へと移っていったのか?戦前の印刷物を見ると、橫文字は右から左に書いてあるものが多い。どうして橫書きは右から左だったのだろうか。戦前の日本語を、「歴史的仮名遣い」として研究されている押井徳馬さんに話を伺った。
很難念,非常難念,也覺得很難寫(事實上的確很難寫)。但是,在日本的確有過從右往左橫寫的時代。直到二戰(zhàn)后不久,這樣的記載方式都隨處可見。那么,文字為何要從右往左橫寫呢?現(xiàn)在為什么又改成從左往右寫的吶?(小編插花:我也一直很想知道中文在這個方面的淵源來歷……)翻閱戰(zhàn)前的印刷出版物,大多是從右往左的橫寫文字。為什么橫寫卻是從右往左的呢?為此筆者專程采訪了研究戰(zhàn)前日本語、以《歷史假名的使用》廣為人知的押井德馬先生。
「戦前の橫文字が右から左だったのは、
縦書きの影響です。日本語の縦書きは、行は右から左に進(jìn)みますから、額や
のれん等の橫長のスペースに書く時も、一行一文字の縦書きをする様に、かつては右から左へと書くのが一般的でした。ただし右橫書き(右から左に書く橫書き)とは、文字をあくまでも橫長のスペースに収める都合上のもので、出版物の本文は大抵縦書きであり、まるごと右橫書きで書かれることはありませんでした」(押井さん)
“戰(zhàn)前文字從右往左橫寫是受豎寫的影響。日語的豎寫是從右往左排列的,店鋪的方形匾額看板上的文字,也是一行行豎著排列。由此可以看出以前的文字一般都是從右往左排列。但是,從右到左的橫寫方式,一般只出現(xiàn)在有足夠空間的方形物體上,而出版物的文本大多是豎寫的,基本沒有從右往左橫寫的情況。”(押井)
なるほど、縦書きが右から左に書くものだから、それと同じ
要領(lǐng)というわけらしい。意外と単純な理由であった。しかし戦後になると、橫文字は現(xiàn)在のように、左から右へと変化する。こうした背景には何があったのだろう。押井さんはこのように説明する。
原來如此,因為豎寫是從右往左,所以橫寫也自然就從右往左。真沒想到理由這么簡單。但是戰(zhàn)后,橫寫文字又變成如今的從左往右。這又是出于什么樣的原因呢?押井先生是這樣說明的。
「歐米の言語の影響です。実は戦前は左橫書き(左から右に書く橫書き)が無かったわけではなく、左橫書きと右橫書きの両方が使用されました。英語の辭書や教科書など、英文と和訳を並べて書くには左橫書きの方が都合良いですし、他にも算術(shù)や音楽の教科書、
數(shù)式や外來語の多い技術(shù)書などで左橫書きが見られました」
“這是由于歐美語言的影響。實際上,在戰(zhàn)前并不是沒有從左往右橫寫的情況,從左往右和從右往左的橫寫方式兩種都被采用了。在英語辭典或教科書上,英語與日語翻譯并列書寫的時候,從左往右寫的方式更適合,其他如算數(shù)、音樂的教科書、算式或外來語較多的技術(shù)類書籍,更多的是從左往右寫?!?/div>
確かにそうだ。右から橫書きにしてしまうと、英語と和訳を並べて書くときに並びが逆だし、見づらいではないか。
的確是這樣。如果從右往左橫寫的話,英語與日語翻譯的順序是相反的,看起來不是很困難么。
例)
This is a pen.
。すでンペはれこ
例:
This is a pen.
。筆是這
分かりにくいことこの上ないし。だから左橫書き普及運(yùn)動が生まれた、なるほど、納得だ。
是不是很難讀懂啊。于是,從左往右橫寫的普及運(yùn)動就開始了。原來如此啊,完全明白啦。
「左橫書きが本格的に普及して右橫書きが廃れていったのは昭和20年代以降で、昭和21年に読売新聞、昭和22年に朝日新聞が新聞に左橫書きを採用し、昭和20年代以降、省庁の文書が縦書きから左橫書きに徐々に変更されていったのがきっかけでした」(押井さん)
“昭和20年代以后,廢除了從右往左的橫寫方式,從左往右的橫寫方式開始正式普及,昭和21年的讀賣新聞、昭和22年的朝日新聞,報刊上都采用了從左往右橫寫的方式,昭和20年代以后,省廳的文件漸漸從豎寫變?yōu)閺淖笸业臋M寫方式,書寫方式的變革由此開始?!保ㄑ壕壬?/div>
段々と、戦後の日本にふさわしい文字文化の革新が、新聞から
浸透していったというのが始まりらしい。左橫書きに変化していなかったら、私たちの文字文化は今とは違う非常に奇妙なものであったに違いない。
戰(zhàn)后日本的文字文化革新,以報刊為代表漸漸滲透開來。如果沒有從左往右橫寫的變化,我們的文字文化怕是會非常奇怪,也不是現(xiàn)在的樣子了。
右から左に文章を書ける
記事なんて、きっと今回だけだろうから、書いておこう?!福·郡盲?、てっなに右らか左」
從右往左寫的報道,絕對只有這一次,寫一下吧?!?!了好太是真寫右往左從成變”
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