「青春」とよく言いますね。青い春と書(shū)いて青春、始まったばかりでこれから活動(dòng)するという、希望と勇気を與えてくれるとても良い言葉です。しかし、「青春」という言葉にしがみつくなんてモッタイナイ。季節(jié)はめぐり春の後には必ず夏がやってくるように、青春の次には「朱夏」というはつらつとした時(shí)期があるからです。
我們經(jīng)常會(huì)說(shuō)到“青春”這個(gè)詞。青蔥的春天便寫(xiě)作青春,寓意剛剛開(kāi)始即將開(kāi)始活動(dòng),是個(gè)給人以希望和勇氣的美妙詞匯。但是,如果只抓住“青春”這個(gè)詞就太可惜了。正如季節(jié)更替,春天過(guò)后必有夏天來(lái)臨,青春之后就是“朱夏”這個(gè)精力充沛的時(shí)期。
「青春」が人生の春であることは確かなのですが、春が一番幸福な時(shí)期という意味ではなく、人生を春·夏·秋·冬に例えればというお話です。青二才や青臭いなどの表現(xiàn)があるように、青には未熟という意味があり、「青春」はまだまだ青くて未熟な春なのです。
“青春”確實(shí)是人生的春天,但并不意味著春天是最幸福的時(shí)期,而是把人生比作春夏秋冬。正如日語(yǔ)中「青二才/幼稚」「青臭い/乳臭味干」等詞匯的含義,青色幼未成熟之意,“青春”其實(shí)是尚且青澀未成熟的春天。
「青春」の次にやってくるのが、「朱夏(しゅか)」。人生を愉しみ謳歌する時(shí)期として、青春時(shí)代に芽吹いた希望や志を育てて成熟させる壯年期にあたります。そして「朱夏」のあとを「白秋(はくしゅう)」といい、人生の実りを収穫する熟年期になります。さらにその後を「玄冬(げんとう)」といい、次代へと伝承し落葉する老年期に入ります。
“青春”之后到來(lái)的是“朱夏”。這是愉悅謳歌人生的時(shí)期,正值人生的壯年期,應(yīng)將青春時(shí)代萌發(fā)的希望和志向好好培育,使之茁壯成長(zhǎng)。而“朱夏”之后便稱為“白秋”,到了收獲人生果實(shí)的中年期。再之后便是“玄冬”,進(jìn)入了向下一代傳承和落葉歸根的老年期。
また、「玄冬」を芽吹くための土壌作りの時(shí)期ととらえ、幼少期をさすという説もあります。人生の最初と最後に「玄冬」をあてはめることもできるわけですから、「玄冬」が終わりをさすのではなく次代に繋がっていくものととらえたら、さらに素?cái)长蕷莩证沥摔胜欷饯Δ蕷荬猡筏蓼埂?/div>
還有一種說(shuō)法,將“玄冬”比作為了萬(wàn)物發(fā)芽而孕育土壤的時(shí)期,稱之為幼年期?!靶奔仁侨松拈_(kāi)端,又是人生的結(jié)束,并不指終結(jié),而是寓意代代相傳,仔細(xì)想想是不是又覺(jué)得回味無(wú)窮呢。