曾經(jīng)我也想過一了百了
因?yàn)橛泻X堅(jiān)诖a頭悲鳴
隨著浪花起伏消沒
叼啄著往昔飛離不見
曾經(jīng)我也想過一了百了
因?yàn)樯漳翘煨踊ㄩ_放
若是在那灑下的陽光里打盹
能否與蟲之死骸一同化為塵土呢
薄荷糖漁港的燈塔
生銹的拱橋丟棄的自行車
木造車站的暖爐前
無處可去的心靈
今天與昨天如此相像
想改變明天必須改變今天
我知道我知道但是...
曾經(jīng)我也想過一了百了
因?yàn)樾闹幸芽諢o一物
感到空虛而哭泣
一定是渴望得到充實(shí)
曾經(jīng)我也想過一了百了
因?yàn)樾瑤砷_了
不擅長(zhǎng)重新系起
與人的牽絆亦是如此
曾經(jīng)我也想過一了百了
因?yàn)樯倌晟钋槟曋?/span>
抱膝跪在床上
向那天的我說抱歉
屏幕的微光
樓上的噪音
電話的鈴聲
緊塞住雙耳那籠中的少年
與看不見的敵人戰(zhàn)斗著六畳一間的堂吉訶德
反正目的也是一樣丑陋
曾經(jīng)我也想過一了百了
因?yàn)楸蝗苏f是冷血
想要被愛而哭泣
是因?yàn)閲L到了人的溫暖
曾經(jīng)我也想過一了百了
因?yàn)槟銧N爛的笑容
盡考慮著死的事 一定是因?yàn)樘^認(rèn)真地活
曾經(jīng)我也想過一了百了
因?yàn)檫€未與你相遇
因?yàn)橛邢衲氵@樣的人出生
我對(duì)世界稍微有了好感
因?yàn)橛邢衲氵@樣的人活在這個(gè)世上
我對(duì)世界稍微有了期待
這其實(shí)是首歌詞,日本人寫歌常常這樣,有一種呆萌直白,又有一種含蓄委婉,但都是一往情深。
比如“曾經(jīng)我也想過一了百了,因?yàn)樾瑤砷_了,不擅長(zhǎng)重新系起,與人的牽絆亦是如此”,多么簡(jiǎn)單道理,每個(gè)人都能懂得,既可以說這么平常到讓人可以忽略的事情,真不應(yīng)該小題大做,但又像蝴蝶翅膀扇動(dòng)就會(huì)引起風(fēng)暴。
還有“曾經(jīng)我也想過一了百了,因?yàn)樯漳翘煨踊ㄩ_放”。這說什么好呢,婉轉(zhuǎn)得像山路十八彎,悠遠(yuǎn)得像中國古人寫詩??雌饋硐袷遣恢瓢桑质裁炊己孟裾f了。
還有一首明治時(shí)代就開始流傳的老歌也狠有意思,大概是說一個(gè)人在抬頭望著天空走路,因?yàn)槿绻贿@樣,淚水就會(huì)流下來。那是懷念一個(gè)美好夏季——美好的事物消失比較快。
中島美嘉演唱這首歌,狠驚詫這么漂亮女孩竟然會(huì)說這首歌代表她心聲,她一點(diǎn)也不像是在說假話。
你看,世事就是如此,活得七葷八素神魂顛倒,但總有些時(shí)候,有曾經(jīng)的少年(女)出來深情凝視,對(duì)另一個(gè)自己說抱歉。
一首治愈之歌,有視頻有音頻,各有各的好。
僕が死のうと思ったのは
作曲 : 秋田ひろむ
作詞 : 秋田ひろむ
僕が死のうと思ったのは
ウミネコが桟橋で鳴いたから
波の隨意に浮かんで消える
過去も啄ばんで飛んでいけ
僕が死のうと思ったのは
誕生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寢したら
蟲の死骸と土になれるかな
薄荷飴漁港の燈臺(tái)
錆びたアーチ橋捨てた自転車
木造の駅のストーブの前で
どこにも旅立てない心
今日はまるで昨日みたいだ
明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる分かってるけれど
僕が死のうと思ったのは
心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは
きっと満たされたいと願(yuàn)うから
僕が死のうと思ったのは
靴紐が解けたから
結(jié)びなおすのは苦手なんだよ
人との繋がりもまた然り
僕が死のうと思ったのは
少年が僕を見つめていたから
ベッドの上で土下座してるよ
あの日の僕にごめんなさいと
パソコンの薄明かり
上階の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音
耳を塞ぐ鳥かごの少年
見えない敵と戦ってる六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせ醜いものさ
僕が死のうと思ったのは
冷たい人と言われたから
愛されたいと泣いているのは
人の溫もりを知ってしまったから
僕が死のうと思ったのは
あなたが綺麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのはきっと生きる事に真面目すぎるから
僕が死のうと思ったのは
まだあなたに出會(huì)ってなかったから
あなたのような人が生まれた
世界を少し好きになったよ
あなたのような人が生きてる
世界に少し期待するよ